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    <title>岩崎弥太郎という男</title>
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    <title>キリンビール</title>
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    <summary>岩崎弥太郎の長男である岩崎久弥が、三菱の第3代総帥になってからは、事業を統括して...</summary>
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        <![CDATA[岩崎弥太郎の長男である岩崎久弥が、三菱の第3代総帥になってからは、事業を統括していきます。<br /><br />事業の中心は鉱業や造船と言った物でしたが、久弥が個人的に興味を持っていたのは「紙」と「ビール」だったそうです。<br /><br />

横浜では、明治初期の頃から「スプリング・ヴァレー・ブルワリー社」でビールを作っていました。<br /><br />その会社を岩崎弥之助、岩崎弥太郎と敵対していた渋沢栄一等の財界人を始めとして、横浜に住んでいた外国人達が出資する形で買収をしました。<br /><br />買収後名前を「ジャパン・ブルワリー社」と言う名前に変更しています。<br /><br />

この頃、ビールと言うアルコールは日本人にとっては余り馴染みが無く、普及もさほどしていなかったと言います。<br /><br />しかし明治屋と言う総合代理店が「キリン」のラベルを使って一般の人向けに発売をした事がキリンビールの初と言う事になります。<br /><br />

明治40年に、輸入販売業者の総合代理店だった明治屋と、岩崎家、更に日本郵船が合同になって「麒麟麦酒株式会社」を設立する事になりました。<br /><br />

当初は神奈川県鶴見に工場を作りましたが、その後は仙台、広島等、日本で何カ所か工場を作り、朝鮮や満州等海外にも作って事業を展開していったと言います。<br /><br />]]>
        
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    <title>岩崎弥之助</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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        <![CDATA[岩崎弥之助は岩崎弥太郎の弟で、三菱財閥の2代目総帥となった人物です。<br /><br />元々は兄の片腕として九十九商会時代から働いていましたが、明治18年に兄である岩崎弥太郎が死亡した事を期に、兄の意思を次いで三菱の2代目として就任しました。<br /><br />

岩崎弥太郎が総帥の時は、一時期経営の危機にまで陥ってしまった事がありましたが、弥之助に総帥が変わってからは、経営が多角化していきました。<br /><br />そこから三菱は急速に事業を発展させていく事になりました。<br /><br />

今の人達が知る所で、岩崎弥之助が手掛けた所と言うと東京の丸の内周辺であったと言います。<br /><br />元々岩崎家は高知県出身の地下浪人の出でありましたが、一族で東京に移り住み、弥太郎、弥之助等の活躍により財力を付けていきました。<br /><br />

また、明治23年頃には東北新幹線が今の盛岡まで開通しました。<br /><br />岩手と言うと小岩井農場を知っている人も多いでしょう。<br /><br />バターや牛乳、アイスなど多くの乳製品も有名です。<br /><br />その小岩井農場を開設したのが、岩崎弥之助を始めとした、当時の日本鉄道会社副社長である小野義真、鉄道庁長官であった井上勝だったそうです。<br /><br />小岩井農場の開設は経営としても大成功を収めた様で、多角経営の一貫として大いに役立った様です。<br /><br />]]>
        
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    <title>海運</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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    <summary>1865年、西郷隆盛の支持を得て、亀山社中を結成したのは坂本龍馬でした。亀山社中...</summary>
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        <![CDATA[1865年、西郷隆盛の支持を得て、亀山社中を結成したのは坂本龍馬でした。<br /><br />亀山社中の役割と言ったら、航路を使って物資を輸送する事、その他には航海訓練を行う事と言った役割でした。<br /><br />

この頃、土佐藩の中でかなりの実力を付けていた後藤象二郎ですが、開成館と言う組織を結成して、土佐の商品を売ると言う商いをしながら、富国強兵をしようと志していましたが、そうは上手くはいきませんでした。<br /><br />その事から1867年に土佐商会の責任者として岩崎弥太郎を抜擢したという事です。<br /><br />岩崎弥太郎はここから経済への道を歩むことになります。<br /><br />

その頃、後藤象二郎と坂本龍馬は長崎で会談をし、大政奉還への道を進めようとします。<br /><br />同年坂本龍馬に対する脱藩の罪が許されると、亀山社中から海援隊と名前を改め、土佐藩の為に色々と尽力を尽くす事になりました。<br /><br />この時、海援隊の経理を担当したのが岩崎弥太郎だった様です。<br /><br />

岩崎弥太郎は交渉術にも長けていた様で、海援隊が「いろは丸」と言う船で処女航海している最中、徳川家紀州藩の船と衝突して沈没してしまいました。<br /><br />相手が相手だけに賠償請求もなかなか上手くいかなかった所、岩崎弥太郎が上手い、紀州藩に対して賠償をしてもらえる様になったと言われています。<br /><br />]]>
        
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    <title>ジョン万次郎</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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    <summary>岩崎弥太郎に影響を与えた人物はたくさんいますが、その中の1人に「ジョン万次郎」が...</summary>
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        <![CDATA[岩崎弥太郎に影響を与えた人物はたくさんいますが、その中の1人に「ジョン万次郎」が挙げられます。<br /><br />

そのジョン万次郎ですが、鎖国も開け、近代日本が開かれたといる時代に、日本と欧米との懸け橋となって多大なる業績を残した人物です。<br /><br />ジョン万次郎と言う人物がいる事は知っていても、どんな功績を残してきた人なのか知らない人も多いのではないでしょうか。<br /><br />ジョン万次郎の功績については、日本より逆にアメリカの方が評価が高い様です。<br /><br />

その証拠として、第30代アメリカ合衆国の大統領である「クーリッジ」は「ジョン万次郎がアメリカから日本に帰国した事、これはアメリカがアメリカ大使として日本に送りだしたのと同じ事だ」と言うように語っていたという事もありますし、アメリカが建国されて200年の記念の時に「海外からの米国訪問者展」と言うイベントが開かれたそうですが、その中にジョン万次郎が入っていたそうです。<br /><br />たった29人の中に入っているとは本当に評価が高かった事を考えさせられます。<br /><br />

かの有名な坂本龍馬も、ジョン万次郎の体験してきた事を聞き、外国に対して興味を持ち開眼していったと言われています。<br /><br />それを基にアメリカの生活事情、民主主義などの知識を用い、近代的な日本国を作ろうと目指していったと言われています。<br /><br />]]>
        
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    <title>三菱商業学校</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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    <summary>明治11年には東京神田に三菱商業学校が設立されました。ここの教官人は殆ど福沢諭吉...</summary>
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        <![CDATA[明治11年には東京神田に三菱商業学校が設立されました。<br /><br />ここの教官人は殆ど福沢諭吉が設立した慶応義塾の門下生達で、理想に燃えていたと言います。<br /><br />

三菱商業学校では、予備科3年、本科2年と言う合計5年の学校で、教えている内容は英語、算術、簿記、漢学、作文、経済学（英語）、数学、歴史、地理、と言う様に普通の授業にプラスして商業や経営に必要な学問を教えていました。<br /><br />更に希望者には1年間のインターンシップが経験できたと言います。<br /><br />

また、三菱商業学校での生徒数は多い時で100名超える位で、今で言うビジネススクールと言った所だった様です。<br /><br />創立者の岩崎弥太郎の長男、弥太郎はこの時福沢諭吉が開設していた慶応義塾で学んでいましたが、岩崎弥太郎の考えで三菱商業学校の第一期生として入学しました。<br /><br />

慶応義塾と三菱商業高校の資金の差は歴然としていた様で、慶応義塾は資金繰りに困って政府に調達してくれるように掛け合っていたのに対して、三菱商業高校は政府からの補助（と言っても三菱にあった助成策によるもの）が有ったので、かなり三菱商業高校にお金をかけていたと言います。<br /><br />]]>
        
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    <title>福沢諭吉</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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    <summary>誰でも知っている1万円札の顔、福沢諭吉が生まれたのは天保5年で、奇しくも岩崎弥太...</summary>
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        <![CDATA[誰でも知っている1万円札の顔、福沢諭吉が生まれたのは天保5年で、奇しくも岩崎弥太郎が生まれた次の日だったそうです。<br /><br />福沢諭吉は学問に長けていて、蘭学を学び、英語も学びました。<br /><br />その功績もあり、幕府の欧米使節として3度随行したと言います。<br /><br />また、西洋の制度だったり、理念だったりと言う事について本を書く事で紹介していったと言います。<br /><br />

その福沢諭吉が書いた著書『西洋事情』は、出版されるや否やベストセラーになった様ですが、その本への魅力に岩崎弥太郎は魅入られて福沢諭吉のファンになったのではないかと思います。<br /><br />

福沢諭吉は東京三田に慶応義塾を開設しました。<br /><br />そこで、先生として教鞭を取っていました。<br /><br />その頃岩崎弥太郎は大阪にて海運業を立ち上げ、つくも商会から三菱商会へと改名をし、慶応7年に東京へ本社を移転しました。<br /><br />

当時、海運業の大手は日本国郵便汽船会社と言う所で、その態度は余りにも大きかったそうです。<br /><br />しかし、事業の成功はお客様へのサービス次第と思っていた岩崎弥太郎は、東京に進出した際、店の正面におかめの顔をした看板を掲げたと言います。<br /><br />おかめというと、愛くるしい程の笑顔で見る物の心を和ませます。<br /><br />そのおかめの顔と同じ顔で接客をしろと社員に指導していたそうです。<br /><br />]]>
        
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    <title>お母さん</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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        <![CDATA[明治9年頃、岩崎弥太郎の母岩崎美和は、長女である春治の所（大阪）へ暫く身を寄せていた事があると言います。<br /><br />その頃は毎日の様に弥太郎から母へ手紙を送っていたそうです。<br /><br />内容はとにかく「無事で」「早く帰ってきて」と言う様な、母親に対する愛情が見える内容だった様です。<br /><br />

明治9年頃と言うと、岩崎弥太郎にとっては「郵便汽船三菱会社」を作り（日本国郵便汽船会社を吸収すると言う形で作りました。<br /><br />）、政府の助成策を享受する等している頃で、勢いが止まらなかった時期になります。<br /><br />三菱商会の仕事で昼間は忙しく奮闘し、夜は人脈作りの為なのか、毎晩どんちゃん騒ぎをしていた様だったのに、マメに母親に手紙を書いていた事は本当にビックリです。<br /><br />

岩崎弥太郎の母、美和は元々町医者の娘として産まれました。<br /><br />それが土佐の井ノ口村の地下浪人であった岩崎彌次郎の所に嫁ぐ事になる訳ですが、それは貧しい暮らしだった様です。<br /><br />それでも誇りを失わずに常に凛とした態度でいたそうです。<br /><br />弥太郎を始めとした子供たちにとって、美和はとても大きな影響力を持っていて、それは生涯変わらなかったとか。<br /><br />

岩崎弥太郎が海運事業に乗り出し、忙しい毎日を送っていた頃、母は弥太郎を厳しく諌めたり、励ましてきたりして常に心に安定をもたらす存在としていた様です。<br /><br />]]>
        
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    <title>人柄</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-01T09:56:08Z</updated>

    <summary>岩崎弥太郎は三菱グループの創立者と言う事もあって、多くの方は財閥の出で裕福だった...</summary>
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        <![CDATA[岩崎弥太郎は三菱グループの創立者と言う事もあって、多くの方は財閥の出で裕福だったのではと思う人も多いでしょう。<br /><br />しかし、岩崎弥太郎は恵まれた環境の下で幼少時代を送った訳ではありませんでした。<br /><br />

岩崎家の身分は「地下浪人」と言う身分でした。<br /><br />「地下浪人」とは地下に投獄されていると言う意味ではなく、郷士の株を売って居ついてしまう浪人の事を指していたそうで、かなり身分は低かったそうです。<br /><br />ですから、岩崎弥太郎の幼少時代と言うのは、本当に極貧生活で苦しかったと言っても良いと思います。<br /><br />

しかし、岩崎弥太郎は才覚を発揮し、起業家として成功までした人です。<br /><br />何故ここまで出世する事が出来たのでしょうか。<br /><br />岩崎弥太郎は秀才とまで言われ、当時の土佐藩主に褒められた経緯もあります。<br /><br />その才能を生かして勉学に勤しんだと言います。<br /><br />その後江戸に遊学に出向く事になるのですが、その前に地元の神社に参拝をして、そこの扉に「後日 英名ヲ天下ニ轟カザレバ 再ビ帰リテ此ノ山ニ登ラジ」と書き、幼いながらにもその心に大志を抱いた様です。<br /><br />それが多いなる野望に繋がったのでしょう。<br /><br />]]>
        
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    <title>彼が出世できたわけ</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-01T09:56:08Z</updated>

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        <![CDATA[後藤象二郎の叔父である吉田東洋が手掛けていた私塾に、岩崎弥太郎も入塾していたといいます。<br /><br />ある一説によりますと、吉田東洋は甥である後藤象二郎に宿題を出したそうです。<br /><br />もちろん回答を書いて後藤象二郎は提出したのですが、その回答が余りにも見事だったそうで、不思議に思い後藤象二郎を問いただしたそうです。<br /><br />それで、岩崎弥太郎が代筆したのだと白状したといいます。<br /><br />この事をきっかけにして、吉田東洋は岩崎弥太郎に対して一目置いたのだと言う事です。<br /><br />

吉田東洋が手掛けていた小林塾では、身分など関係無く勉強したいと言う若者を受け入れていたそうで、ここで岩崎弥太郎が再び認められて世に出るきっかけになったのではないかと思います。<br /><br />

1858年に日米修好条約が調印され、安政の大獄が起こります。<br /><br />吉田東洋はこの時に土佐藩の政治に復帰する事になります。<br /><br />その時に土佐藩は藩財政危機の真っただ中にあり、その救済策として海外貿易を行って国内産業を盛んにしようと考え付きます。<br /><br />その調査をする為に調査団を作るのですが、その時に吉田東洋の推薦で岩崎弥太郎が入る事になりました。<br /><br />

その時に色々な仕事に従事する一方で、長崎にて海外事情もたくさん学んでいたと言われています。<br /><br />岩崎弥太郎は吉田東洋のお陰で、大いに出世した事が分かります。<br /><br />もちろん岩崎弥太郎も吉田東洋の事を尊敬していた事でしょう。<br /><br />]]>
        
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    <title>海上王</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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    <summary>岩崎弥太郎は、父である岩崎弥次郎、母である岩崎美和の長男として高知県井ノ口村で生...</summary>
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        <![CDATA[岩崎弥太郎は、父である岩崎弥次郎、母である岩崎美和の長男として高知県井ノ口村で生まれました。<br /><br />

岩崎弥太郎は地下浪人の息子として産まれましたが、大きくなるにつれて秀才角を出してきた様で、その頃の土佐藩主であった山内豊照に対して書を講じる等して褒美を貰う程だったといいます。<br /><br />この時弥太郎は14歳と言う幼さだったと言います。<br /><br />

安政元年に、弥太郎は江戸へ遊学する事になりますが、その時の志もとても大きく、地元の星神社の扉に大きく志を書いてから江戸の安積艮斉に遊学として入門したと言います。<br /><br />
しかしその翌年、父の岩崎弥次郎がお酒を飲んでいる席で喧嘩をした為、投獄されてしまいます。<br /><br />その事をきっかけにして弥太郎が地元に帰り免罪を激しく訴えた為に、弥太郎自身も投獄される事になりました。<br /><br />

その後、地元の井ノ口村を追放された後、吉田東洋と言う人と出会い、それをきっかけにして飛躍の道を歩むことになりました。<br /><br />

その後、後藤象二郎と言う人の下で、仕事のパートナーとして働く様になった弥太郎は、商才を発揮する事になり、長崎で設立された土佐商会でもその活躍は見事だった様です。<br /><br />

その後、土佐商会はつくも商会と名前を変え、それを基にして1873年三菱商会を設立する事になります。<br /><br />この三菱商会では、それ以前に坂本龍馬から得ていた示唆に基づいて海運業に着目する事になります。<br /><br />]]>
        
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    <title>坂本龍馬</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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    <summary>坂本龍馬は岩崎弥太郎が生まれた翌年に生まれています。岩崎弥太郎が極貧な家に生まれ...</summary>
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        <![CDATA[坂本龍馬は岩崎弥太郎が生まれた翌年に生まれています。<br /><br />岩崎弥太郎が極貧な家に生まれたのに対し、坂本龍馬の家は高知城下での郷士・御用商人と言う立場であった為、裕福な家に生まれました。<br /><br />

坂本龍馬が26歳の時に脱藩をするのですが、その後に師と仰ぐ事になる勝海舟と出会います。<br /><br />そして日本を改革しようと、洗濯しようと意を決する事になります。<br /><br />そして、勝海舟から紹介された西郷隆盛から指示を得る形で「亀山社中」を長崎に結成、薩摩藩や長州藩の為に色々奔走をしながら、薩長同盟をお膳立てし、幕末のヒーローと言われる様な活躍をしました。<br /><br />

坂本龍馬が後藤象二郎と出会って意気投合をした事から、岩崎弥太郎との接点も出て来るようになるのですが、坂本龍馬は脱藩に関する赦免状を中岡慎太郎の分と一緒に取得して亀山社中を海援隊としました。<br /><br />一方岩崎弥太郎は長崎商会で働いていて、後藤象二郎を援護し、土佐藩を経済危機から救う為に金策に走っていたと言います。<br /><br />その方法は蒸気船を購入したり、武器弾薬を購入したりしていたそうです。<br /><br />また龍馬率いる海援隊においても会計士として活動を支えていました。<br /><br />]]>
        
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    <title>龍馬伝</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-01T09:56:07Z</updated>

    <summary>2010年のNHK大河ドラマである「龍馬伝」は、福山雅治さんが演じる「坂本龍馬」...</summary>
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        <![CDATA[2010年のNHK大河ドラマである「龍馬伝」は、福山雅治さんが演じる「坂本龍馬」が主人公になっていますが、この「坂本龍馬」の33年と言う短い生涯を、香川照之さん演じる「岩崎弥太郎」の視点から描いている作品になっています。<br /><br />

ドラマの内容ですが、岩崎弥太郎は三菱財閥の創始者であり、幕末時代屈指の経済人でもありました。<br /><br />同郷には、あの坂本龍馬がいましたが、いつも自分の前を歩いている坂本龍馬に、岩崎弥太郎が憧れていたと言う事は有名です。<br /><br />

しかしある日、土佐藩参政において師事していた吉田東洋が暗殺されました。<br /><br />この事をきっかけにして、岩崎弥太郎は坂本龍馬の事を憎む様になったと言います。<br /><br />

その後、弥太郎と龍馬の二人は長崎の地で再会を果たす事になります。<br /><br />二人は衝突を何回も繰り返しながら一緒に海援隊を盛り上げていったそうです。<br /><br />しかし坂本龍馬は暗殺される事になり、坂本龍馬の志でもあった「世界の海援隊を作る」は岩崎弥太郎に引き継がれ、その後の発展を遂げていく。<br /><br />と言う物語になっています。<br /><br />]]>
        
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    <title>三菱</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
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    <summary>土佐商会と言う会社があったのですが、明治維新が終わった後、名前を土佐商会から「つ...</summary>
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        <![CDATA[土佐商会と言う会社があったのですが、明治維新が終わった後、名前を土佐商会から「つくも商会」に改名しました。<br /><br />明治4年に廃藩置県が行われましたが、この時に「つくも商会」の施設を譲り受けたのが岩崎弥太郎でした。<br /><br />

また施設を譲り受けたのをきっかけにして「三菱商会」と言う会社を創設する事になり、現在の三菱グループの原点になります。<br /><br />今ではお馴染みである三菱のマークは、この時定められたそうです。<br /><br />何故あのような三菱マークを商標にしたかと言うと、三蓋菱と言う岩崎家の紋と、三葉柏という岩崎弥太郎を認めてくれた土佐藩主山内家の紋を組み合わせたマークだと言われています。<br /><br />

岩崎弥太郎は元々「海援隊員」と言う事もあって、海運業にかなり力を入れていたと見られ、その功績から「東洋の海上王」とまで言われる様になったと言います。<br /><br />しかしその功績も空しく、52歳と言う若さで無くなる事になりました。<br /><br />

今の三菱グループがあるのは、岩崎弥太郎がいたからなのだと言う事が分かります。<br /><br />

そんな岩崎弥太郎ですが、高知県安芸駅から自転車に乗って20分程行った場所に、岩崎弥太郎の生家があります。<br /><br />当時はどういう所だったかは定かじゃありませんが、現在では一面田んぼと言うのどかな場所になっています。<br /><br />その生家は今でも残っていて、何ともいえず温かい雰囲気が出ている家になっています。<br /><br />]]>
        
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    <title>生い立ち</title>
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    <published>2008-06-29T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-01T09:56:07Z</updated>

    <summary>岩崎弥太郎（1834～1885年）は現在の大企業、三菱グループの創始者で有名な人...</summary>
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        <![CDATA[岩崎弥太郎（1834～1885年）は現在の大企業、三菱グループの創始者で有名な人物です。<br /><br />三菱グループの創始者である事は知っていても、高知県安芸市出身で坂本龍馬と関係が有ったと言う事は意外にも知っている人はあまりいないのではないでしょうか。<br /><br />

その岩崎弥太郎の生誕の地である高知県安芸市には、生家が今でも大切に保存されていて一般公開もされているそうです。<br /><br />

その岩崎弥太郎ですが、1834年（天保5年）にその時は地下浪人であった岩崎弥次郎の長男として産まれました。<br /><br />弥太郎はその奇才ぶりを最大限に発揮していた様で、10数歳で漢詩を他人に献じたり、書を講じたりしていました。<br /><br />その秀才ぶりが第13代土佐藩主である山内豊照に認められたそうです。<br /><br />この時弥太郎はわずか14歳と言う幼さでした。<br /><br />

しかし、そんな秀才ぶりも何処へやら、幼い頃には畑などを荒らしたりして周囲を困らせるかなりの悪ガキであった様です。<br /><br />

そんな弥太郎がどう思いを巡らせていたのか、21歳の時に江戸に単身で遊学に行く事になりました。<br /><br />江戸で一生懸命勉学に励んでいた様ですが、1年経ったある日、自分の父親が投獄されている事、その理由が酒席での喧嘩が原因だったと言う事を知り、高知に帰り父親の免罪を訴えました。<br /><br />]]>
        
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    <title>オフィス街</title>
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    <published>2008-06-28T01:00:00Z</published>
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    <summary>岩崎弥太郎の長男として産まれた岩崎久弥はアメリカへ留学していました。その後、三菱...</summary>
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        <![CDATA[岩崎弥太郎の長男として産まれた岩崎久弥はアメリカへ留学していました。<br /><br />その後、三菱社の副社長になるのですが、その前の年、岩崎弥太郎の弟で三菱社の第2代総帥である岩崎弥之助は、今の東京丸の内周辺に10万坪と言う広大な土地を購入したと言われています。<br /><br />

この土地は政府の陸軍省から購入したのですが、政府が財源に苦しんでいた為、政府を救ってくれるように懇願して、土地を払下げした物だったそうです。<br /><br />

政府が提示していた金額は余りにも高額だった為に、弥之助も相当悩んだらしいですが、国家に尽くす事が三菱の意思であると言う事から、高値でも土地を購入する事を決意したと言います。<br /><br />その土地の価格は、当時の東京市予算の大体3倍はあったと言いますから、かなりの高値である事は間違いありません。<br /><br />

当時、まだ東京駅と言う物は無く、中央線がお茶の水までしか通っていなかったり、路面電車が日比谷～大手町間で走っていたりと言う時代だったので、丸の内は交通の便はかなり不便だった事が伺えます。<br /><br />

しかし、岩崎久弥が第3総帥になると丸の内オフィス街を建設する事になり、東京駅が開通する事になり、丸の内も交通の便が良いと言う場所になっていきます。<br /><br />]]>
        
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