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海上王

岩崎弥太郎は、父である岩崎弥次郎、母である岩崎美和の長男として高知県井ノ口村で生まれました。

岩崎弥太郎は地下浪人の息子として産まれましたが、大きくなるにつれて秀才角を出してきた様で、その頃の土佐藩主であった山内豊照に対して書を講じる等して褒美を貰う程だったといいます。

この時弥太郎は14歳と言う幼さだったと言います。

安政元年に、弥太郎は江戸へ遊学する事になりますが、その時の志もとても大きく、地元の星神社の扉に大きく志を書いてから江戸の安積艮斉に遊学として入門したと言います。

しかしその翌年、父の岩崎弥次郎がお酒を飲んでいる席で喧嘩をした為、投獄されてしまいます。

その事をきっかけにして弥太郎が地元に帰り免罪を激しく訴えた為に、弥太郎自身も投獄される事になりました。

その後、地元の井ノ口村を追放された後、吉田東洋と言う人と出会い、それをきっかけにして飛躍の道を歩むことになりました。

その後、後藤象二郎と言う人の下で、仕事のパートナーとして働く様になった弥太郎は、商才を発揮する事になり、長崎で設立された土佐商会でもその活躍は見事だった様です。

その後、土佐商会はつくも商会と名前を変え、それを基にして1873年三菱商会を設立する事になります。

この三菱商会では、それ以前に坂本龍馬から得ていた示唆に基づいて海運業に着目する事になります。

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