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キリンビール

岩崎弥太郎の長男である岩崎久弥が、三菱の第3代総帥になってからは、事業を統括していきます。

事業の中心は鉱業や造船と言った物でしたが、久弥が個人的に興味を持っていたのは「紙」と「ビール」だったそうです。

横浜では、明治初期の頃から「スプリング・ヴァレー・ブルワリー社」でビールを作っていました。

その会社を岩崎弥之助、岩崎弥太郎と敵対していた渋沢栄一等の財界人を始めとして、横浜に住んでいた外国人達が出資する形で買収をしました。

買収後名前を「ジャパン・ブルワリー社」と言う名前に変更しています。

この頃、ビールと言うアルコールは日本人にとっては余り馴染みが無く、普及もさほどしていなかったと言います。

しかし明治屋と言う総合代理店が「キリン」のラベルを使って一般の人向けに発売をした事がキリンビールの初と言う事になります。

明治40年に、輸入販売業者の総合代理店だった明治屋と、岩崎家、更に日本郵船が合同になって「麒麟麦酒株式会社」を設立する事になりました。

当初は神奈川県鶴見に工場を作りましたが、その後は仙台、広島等、日本で何カ所か工場を作り、朝鮮や満州等海外にも作って事業を展開していったと言います。

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