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三菱

土佐商会と言う会社があったのですが、明治維新が終わった後、名前を土佐商会から「つくも商会」に改名しました。

明治4年に廃藩置県が行われましたが、この時に「つくも商会」の施設を譲り受けたのが岩崎弥太郎でした。

また施設を譲り受けたのをきっかけにして「三菱商会」と言う会社を創設する事になり、現在の三菱グループの原点になります。

今ではお馴染みである三菱のマークは、この時定められたそうです。

何故あのような三菱マークを商標にしたかと言うと、三蓋菱と言う岩崎家の紋と、三葉柏という岩崎弥太郎を認めてくれた土佐藩主山内家の紋を組み合わせたマークだと言われています。

岩崎弥太郎は元々「海援隊員」と言う事もあって、海運業にかなり力を入れていたと見られ、その功績から「東洋の海上王」とまで言われる様になったと言います。

しかしその功績も空しく、52歳と言う若さで無くなる事になりました。

今の三菱グループがあるのは、岩崎弥太郎がいたからなのだと言う事が分かります。

そんな岩崎弥太郎ですが、高知県安芸駅から自転車に乗って20分程行った場所に、岩崎弥太郎の生家があります。

当時はどういう所だったかは定かじゃありませんが、現在では一面田んぼと言うのどかな場所になっています。

その生家は今でも残っていて、何ともいえず温かい雰囲気が出ている家になっています。

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